セミがこんなにも「こわい」のは私だけであろうか。
セミがこんなにも「こわい」のは私だけであろうか。
セミが怖くなったのは、小4の夏である。
暑い夏の日、習い事からの帰り道で、セミに襲われた。
首元に飛んできて、けたたましい声で鳴き始めたのである。
脚は首に刺さってチクチクするし、払いのけた手と首元には尿がかけられていた。
その一件から、セミを見るたびに親の仇のように睨みつけることを心がけている。
意識するほどに強大な敵となり、夏の暑さで弱った私の心身を蝕むのだ。
なぜこわいと感じるのか
- 幼い時のトラウマ
- 不規則な飛び方
- びっくり装置
この3つが主な要因であると考えている。
幼い時のトラウマ
これは上記の通りであるが、幼い時にセミに襲われたことが原因である。
襲われたというのはあくまで私の主観でしかなく、言い方の問題である。
とまったのが、蝶やトンボであったならば、歓迎できる友人であっただろう。
ということは、セミに備わった特性の影響が大きいと考えられる。
- 鳴き声
- 硬さ
- 大きさ
- 尿
この辺りが、蝶やトンボと異なるセミの特性と考えた。
接触によって、五感がどの程度刺激されるかというのが、トラウマに結びつくか否かを分けるのではないか。
- 鳴き声=聴覚
- 硬さ(チクチク、カサカサ)・尿で濡れる=触覚
- 身体にとまる虫にしてはデカい(びびる)=視覚
短時間で一気に、しかも不意にこれらを刺激されたことでトラウマに繋がったのではと考える。
幼い頃のトラウマというは払拭し辛いもので、未だに足のつかない水辺がこわすぎる。
4種目(クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ)が泳げるにもかかわらず、水泳を習う以前の足の着かないプールで溺れかけた経験が拭いきれないのである。(水泳は足が着くプールだった)
トラウマを克服しようという気にはならないので、上手く距離を取って頑張っていきたい。
不規則な飛び方
セミの怖い点として、どこに飛んでいくか予想できない点も挙げられる。
蝶やトンボもどこに飛んでいくか予想しづらいのは同様であるが、飛び方が優雅なので許せる。
私がセミを意識するあまりかどうか、セミも私を意識しているかのように飛んでくることが多い。
(セミを意識しているからこそ、飛んできたときの印象が鮮明なだけかもしれないが。)
飛んでくるときは、大体まっすぐ飛んでこない。斜めに飛んできたり、無回転のボールさながらブレながら飛んできたり、とバリエーションは様々である。避けようとしたそのルートに来ることも度々。
私は自転車に乗ることが多いので、このような無免許飛行セミに巻き込まれて事故を起こさないか不安である。
約1週間という短い寿命の中で、寄り道せず、目的に対しまっすぐ飛んで行ってほしいなと思ってしまう。(せっかくだから、地上の様々なものを見て回ってほしいが。)
びっくり装置
これは多くの人が経験したことがあるだろう。彼らの生死は近づいてみて初めて分かるのである。
最後の命の輝きともいうべきかどうか、それを寛容に受け止めたい自分と、なにくそと思う自分が
2:8くらいの割合で存在している。
最後くらい、安らかに逝ってもいいのではとも思うが、びっくり装置であるセミが我々に夏を、夏の終わりを教えてくれる。確かに毎年恒例のイベントとして、セミに驚かされるのもいいと思う。それも風流なのではと自身に思い込ませる。
しかし、セミにトラウマを抱える私には火力が高すぎる。
驚かされた後はライフゲージが5本中2本は削られている。やっぱり、許せないかも。
まとめ
ブログの練習がてら、私の主観でセミのこわさについて考えてみた。
セミはこわいが、この世界からいなくなればいいとまでは思っていない。
セミにも寛容でありたい。
色々考えてしまう私なので、日常でふと思ったことや、本を読んだり、勉強したりして考えたことなど、気ままにシェアしていけたらなと思う。
皆さんのこわいものは何ですか?
何でこわいと思うのでしょうか?
ありがとうございました。
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